エーリヒ・フロム(1900‐80)は、ユダヤ系ドイツ人の精神分析学者・社会心理学者です。
フロムの生涯
1900年、フロムはドイツのフランクフルトに生まれました。
1922年にハイデルベルク大学で、マックス・ウェーバーの弟であるアルフレッド・ウェーバー(1868‐1958)や、精神科医で哲学者のカール・ヤスパース(1883‐1969)などから社会学や心理学を学び、「ユダヤ法について」という論文で社会学の博士号を取得しました。
1920年代半ばには、精神分析手法を学びました。また、正統派ユダヤ人の家で生まれたフロムは、ユダヤ教の研究も熱心に行いました。
1930年にフランクフルト学派に加わりました。フランクフルト大学の社会研究所で、マルクス主義とフロイトの精神分析を融合した社会分析手法の研究をおこないました。
1933年のナチス政権の成立に伴ってスイスへ移動し、さらに翌年、アメリカに亡命しました。そしてその後、ドイツに戻ることはありませんでした。
1937年、アドルノ(1903‐69)たちと対立し、フランクフルト学派を離れました。
コロンビア大学、ベニントン大学、メキシコ国立大学など、多くの大学で教鞭をとりました。
1974年にメキシコを去って、晩年をスイスで過ごし、1980年に亡くなりました。
主著:『自由からの逃走』(1941)『愛するということ』(1956)
権威主義的パーソナリティ
フロムは、1941年に『自由からの逃走』を著し、自由を得たはずの西洋近代社会を生きる人々が、不自由なファシズムに引き寄せられていくメカニズムについて考察しました。
人々は、ルネサンスや宗教改革、あるいはその後の近代革命を通じて、封建的な束縛から解放されて自由を獲得することができました。
しかしその一方で、人々は自分で自分の在り方を決めなければならない孤独感や無力感にさらされるようになりました。
そのため人々は、そうした自由の重みに耐えきれずに逃走し、自分に命令を与えてくれる権威に対して進んで服従しようとする傾向を示すようになりました。
フロムは、権威に進んで従おうとするマゾヒスティックな傾向は、弱者を虐待しようとするサディスティックな傾向と表裏一体の関係であるとして、この両面を合わせもった性格を権威主義的パーソナリティと呼びました。
そして、ナチスという権威に進んで従う一方で、ユダヤ人を虐待する心理は、この権威主義的パーソナリティの現れだと主張しました。
権威主義的パーソナリティについては、のちにフランクフルト学派のアドルノらによって、より深く研究されました。
積極的自由と消極的自由
フロムは人間の自由を、束縛や強制からの解放を求める消極的自由と、愛や自発的な仕事によって世界や他者との連帯へと向かう積極的自由とに分けました。
消極的自由は「~からの自由」、積極的自由は「~への自由」とも表現されます。
近代の資本主義経済は、人間を伝統的な束縛から解放しました。個人は消極的自由を得ましたが、心理的に追い詰められ、孤独を感じるようになります。
孤独感や無力感に耐えられなくなった個人は、自由から逃走し、命令を与えてくれる権威に進んで服従しようとする権威主義的パーソナリティを示すようになります。
あるいは、しっかりとした自己をもたず、常に他人の期待どおりに行動し、認められることでアイデンティティを確認しようとするようになります。
そこでフロムは、社会全体で積極的自由へと本格的に移行することの必要性を主張します。
彼は、個人がかかえる孤独感や無力感を解消するために、個人的創意や自発性を発揮しやすいように組織の分権化を進め、積極的自由を実現することを提唱しています。
自由からの逃走新版 (現代社会科学叢書) [ エーリッヒ・フロム ] 価格:1,870円 |
新フロイト派
フロムは、精神分析の理論を取り入れながらも、フロイトが人間の行動の根源を、性的衝動(リビドー)という生物的・自然的なものからのみ考えたことを批判し、人間の行動を、対人関係など社会的な面も含めて解明しようとしました。
フロムのように、フロイトの性的衝動論を批判しつつ、精神分析学を継承したグループのことを、新フロイト派と呼びます。
フロムの他には、対人関係の理論を掲げたサリヴァン(1892‐1949)や、不安を分析したホーナイ(1885‐1952)らがいます。